38年前のトップセールス

自慢話をするのはあまり好きではありませんが、
参考になればと38年前のことを紹介させていただきます

ルートセールスという販売スタイルです
トラックに自社商品を積み込んでお得意先を廻って、
直接卸して、代金回収もすべてする仕事です

1年目は、持ち廻り(小さな小売店を担当)でしたが、
定期ルートを走りながら新規開拓もたくさんして、
3倍位お得意先を拡げました

2年目にスーパーを担当することになりました
当時、スーパーも直販システムですし、
現在のようにまどろっこしい商談は必要ありませんでした
店長と直談判で、既存製品でも新製品でも売り込み、即販売ができました
今では、すべて段階を踏まなければいけません
問屋さんを抜いたり、バイヤーの許可なく店長に売りこむことは、
違法操業として出入り禁止を勧告されます

担当したスーパーの中に、モータリゼーションの時代が来たと
郊外に大型スーパーを展開始めたスーパーがありました
当時、まだ11店舗しかありませんでしたが、
ボーリング場跡地で開業した店が大当たりでした

日に朝・昼・夕と訪問して店長と直談判して即納品で伝票を切ります
納品数量や条件を出して決めますのでその都度納品単価が変わります
変動納価性と呼んでいました

店長の口癖でした
うちは、博物館ではない(陳列をして見せるだけの商売でない)
売れてナンボや!
売れない商品は、引き取って次々と新しい商品を紹介しろ!

現在のような、定番(決められたフェース)はありません
ジャンコードもありませんでした

ショーケースは、好き勝手に自由に商品を並べることができました
店長には随分可愛がっていただきました
勉強もたくさんさせていただきました
月曜日の朝一番に行けば、ショーケースは見事に空っぽです
売れ残っている商品は、店長のいう「博物館」入りです

今日日、こんなスーパー見たことはありません
スーパーに閉店間際に行っても
販売の機会損失は発生しないように商品が陳列されています
他人事ながら、“商品管理は大変でしょうね” と思います
もともと入社以来、会社の商品はすべて販売する主義でした
なんでも売ってやる! 「百商」商売と名付けていました
商品は、季節や流通する他の商品や土地土地で売れ行きに変化が必ずあります
今まで、売れていた商品がパタリと売り上げが止まることがあります
そんな時こそ、カバーをしてくれるのが百商の中の他の商品です
言い換えれば、リスク分散です

ところがすべてのアイテムが売れると恐ろしいことになります
私は、まさにスーパーマンと呼ばれるようになりました
(別名:はりきりボーイともよばれました)

商品単価×アイテム数×フェース数×回転数×店舗数×情熱
を実践しました

自社商品をお得先に紹介しないことが罪である
お客様に感動を与える売り方を提案する

入社、2年足らずで全国トップの売上を上げていたようです
当時、1人で1000万円以上/月売上、荒利益率は12%を確保していました
計算すると我が給料の分配率は最悪でしたが、
なにひとつ文句を言った覚えはありません

25日稼働で、1日50万円の売上目標を掲げていました
たまたまいいお得意先を担当したお陰と思っていました

そんなトップセールスを会社が利用しない訳がありません
2年と8ヶ月たった時に、小さな新規営業所の所長を拝命しました
口下手で、営業なんてできるタイプではさらさらないと思っていました

理屈には、「へ」が付きます (へりくつ)
理論には、「実践」が付きます (理論と実践)

百商理論もその一つです
なんでも理論化の金ごま本舗です

ホームページ上で
売れ筋商品、売れ筋ランキングコーナーを新設した意見に対しての
金ごま社長の参考意見です